ターン
どうして、12月の冒頭からほったらかしにしていたんだろう、と考えていて、なぜかを思い出した。よく忘れていて、繰り返し思い出す。これからもきっと同じことを繰り返すんだろう。
ただならない状況の中、2月に法事に行って、個人的な楽しみも果たし、浮世からますます離れていく感覚を感じて、そのあと、4月になるまで仕事のことで生きた心地がしなかった。
そのときどきに応じて、どういうわけか心にぴったりと張り付いてくる曲というのがある。今、張り付いているのはピアノ曲。ずっと繰り返し聴いている。そしてその曲の雰囲気によく似た短編集にも出会った。小説を読んで何か響くものを感じるのはひさしぶり。このいい感じを誰かに教えたいと思うのもひさしぶり。読みおわっておもしろかった本は、誰かにあげる、というクセがあった。でも、多分、本はなかなか共有できない。ぼくがおもしろい本を同じようにおもしろいと思ってくれる他人は多分いないだろうな。ぼくだって、本をもらうとありがた迷惑なことが圧倒的に多い。自分で買っても読まないことさえある。
でも、やっぱりそのクセが背景にあるのか、いつも本は気になるところがあるとページの端を折り返して目印にしながら読むのに、この本はそうするのに気がひけて、付箋紙でマーキングしている。丁寧に扱って、手触りが新しいままに読み終わりたい。何か変化が逆回しになっているような感覚。一方ではずっと下流に押し流されているのに。
でも、このへんで本当にターンしてみよう。
なんて抽象的なんだ。
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コメント
「きっかけを 変化したるは 付箋かな」 ぽっぺん
更新されるのを楽しみにしていましたよ
12月冒頭というのは、義母が入院した時期です。
私もそのころからパソコンに向かう時間がなくなっていました。
2月には、ひとつの節目を迎えましたが
日常生活のリズムはすっかり変わってしまいました。
人一人見送るのは大変なことですね。
それでも、いつの間にか違和感が少なくなり
ここが自分の居場所だと思うようになる。
不思議なものです。
投稿: すいかずら | 2008年5月20日 (火) 11時03分
この夢を 記憶したれば 手一杯
クリックしつづけたら、詠んでくれました。
なんかほかのセリフよりも、やっぱり深い感じ。
意味はよくわからないけど、本当にそんな感じ。
すいかずらさんもそういう状況だったんですね。ただ見ている男と違って、女性は本当に大変なんでしょうね。ときどき、結局男は、ハチのオスみたいな存在でしかないのかなと思うことがあります。
うちの義父・義母は、いなくなってしまった実父・実母より年齢が上ですが元気。ロシア革命の年に生まれた義父は90を越えて、まだ株式投資で一喜一憂しています。株はボケ防止にいいのかな。このぶんだと、多分、いわゆる理想的な「ピンコロ」を達成しそう。でも、やっぱりそれはできればずっとないほうがいいし、寝たきりになっても生きていたいほうがいいなと思います。
人間の存在というのは不思議なもので、若い頃に気にしていたような外見的なことよりも、存在そのものに心が響くものだなというのを最近感じます。遠くても、いると感じるだけでなんだか落ち着くような、そんな感じ。
投稿: mumlob | 2008年5月20日 (火) 16時32分
> すいかずらさん
もう1匹は、ぷにょでした。
投稿: mumlob | 2008年5月20日 (火) 16時37分
そうでした。ぷにょでしたピー
私も親と呼べる人は義父と母の二人になりました。
いまさらながら、親というものは、いてくれるだけで
わが身の拠り所なのだと身に染みています。
この歳になってやっとわかったことですけど。
投稿: すいかずら | 2008年5月21日 (水) 06時28分
そうそう、やっとわかったという感じです。
ほかにもやっとわかった、というのはいろいろありますが、将棋などのゲームのあとに(ぼくは将棋はやらないけど)振り返ると、ゲーム全体がクリアに見渡せて、手の1つ1つの意味や役割がわかってくるのに似ているような気がします。ただわかるだけ。いや、今後に応用できそうなものもいくつかありますけどね。
投稿: mumlob | 2008年5月21日 (水) 09時58分
「この浮世 再会された リンゴなり」 ぽっぺん
ぽっぺんは俳句にはまっているようですね。
アポロはさぼってますけど・・・
投稿: すいかずら | 2008年5月22日 (木) 00時16分
「あの台を 後悔したり おもしろい」
ぽっぺんはパチンコにいったみたい♪
投稿: すいかずら | 2008年5月25日 (日) 09時11分