みんな夢の中_071111
近所の善福寺川の水面。いつ眺めても夢のよう。寺尾聡と仁科明子が出ていた『バラ色の人生』とその主題歌「私の孤独(ma solitude)」(ジョルジュ・ムスタキ。一時的に流行った)を思い出す。いろんなものが意味や解釈を与えられないままただ流れている。現在の土地に住むことを決めたのは、この川の存在がもっとも大きい。
『バラ色の人生』が放映されていた時期をいつ頃からか記憶違いしていた。高校1年生か2年生のときだと思っていたけれど74年の3月から6月の時期だったらしい。このドラマを見ながら何を考えていたのか、やっと正確に思い出した。
記憶違いも夢に似ている。その記憶違いには見かけよりも深い意味がある。
先日、夢についてのコメントを受けて、夢の話を書く気になった。実際に書こうとすると闇に手をつっこむようで怖い面もある。何しろ夢なので、今からでは「事実」と照らし合わせることもできない。
子どものころから心に残る夢はいくつかあり、東京に出てきてからはときどきノートにメモしていた(一時期、気になるものは何でもノートにメモしていた。物持ちが悪いわりに、ノートだけはまだ残っている)。
ずっと心に残っている夢の代表的なものに、大学2年生の秋、1976年の10月に見た夢がある。いくつかの符合から4年生のときに見たのだと思っていたが、ノートのメモを見ると違っていた。
この時期には多少の意味がある。2年生の後期は、翌春、専門学部に進学するために専門を決めなくてはならない。ぼくは決められずにいたし、そもそも大学で学ぶことに手ごたえを感じていなかった。それ以前に長く続いていた、痛烈に陥没した気分をまぎらわせるのに手一杯で、その後の方向性を決めるはずの決定が冷静にできるような状況ではなかった。複数のストーリーがからんで落ち着かない時期だった。
夢の舞台は学部のある本郷キャンパス。背景に安田講堂があり、文学部棟が右手に建っている。この建物は建築学上貴重な建物らしく、ある種の様式にのっとったアーチを持つ通路用のトンネルがある。トンネル内部は暗いがそれほど長くないので、明るい出口が向こうに見える。その手前でぼくが彼女と向かい合っている。ぼくは彼女のことが外見的にも性質的にもとても好きだ。バスの音が聞こえて、彼女がそのバスに乗ろうとしていることがぼくにはわかった。
なぜかスーツのような服を着た彼女はかわいらしく微笑みながら、生理の処理をするためにトイレに行って来るといってから駆け出した。それは付いてくるなという意味だということも、嘘だということもわかっていて、ぼくは彼女の後姿がトンネルの中に入っていくのをじっと眺めている。
目が覚めて、彼女とはもう縁がなくなっていて、会う予定もそのつもりもない状況だったことを思い出した。この夢を見るまでは、夢に彼女は頻繁に現れていたのに、これ以降はまったく現れなくなった。これで意識から消えたわけでもないけれど、思い出したくないような、忘れたくないような、奇妙なバランスがこの夢に象徴されて定着し、やっと話が終わったような感触だった。
おおたか静流「みんな夢の中」
http://mumlob.com/happy/all_that_dream.mp3
ぼくは学部への進学は1年先延ばしにしようと考え(あてがあったわけではないけれど)、適当に仏文科進学の志望を出したまま、わざと単位を1つ落とすことを決めた。教養学部は多種多様な講義を受けられるので、もういちど、ちゃんと勉強してみて心を決めようという甘い考えがあった。もう1年いたとしても、何が変わったかはわからない。
結局、ぼくの計算ミスだったのか、事務局の手違いだったのか、ぼくはそのまま3年生に進級して、仏文科に行くことになった。これも、これでいいような、よくなかったような、奇妙なバランスの1つ。いずれにしても、学部のどこに行ってもおそらく何も変わらなかったと思う。そういう意味では、これでよかったはずだ。
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コメント
ジョルジュ・ムスタキの「わたしの孤独」、ほんと流行ましたね。
仁科明子と寺尾聡の『バラ色の人生』は知りませんでした。
仏文学を学ばれたんですね。
わたしの母校西南大に、わたしが修士課程にいた頃、
東大の阿部良雄先生が夏休み前の集中講義でいらっしゃいました。講義の内容はボードレールだったか象徴主義についてだったか、もう忘れました。すらっとした上品な方でした。
東大を卒業されたフランス語の先生(わたしよりも若い人)を、研修でお見かけしてお話することもあります。すばらしい方もいらっしゃいますし、「どうかな?」と思う方もいました。(「どうかな」というのは、お人柄についてです。もちろん「どうかな?」と首をかしげさせる人は、大学とか職業とか関係ないですけど。)
おおたか静流の歌、はじめて聞きました。独特な歌声ですね。
「身も心もあげてしまったけど、なんで惜しかろ、どうせ夢だもの」
という箇所が好きでした。
「夢は第二の人生」という言葉ではじまる小説『オーレリア』を
書いた、19世紀の詩人ネルヴァル知ってますか?
わたしは好きでした。修論は彼の『シルヴィ』について書きました。
投稿: きょうこ | 2007年11月15日 (木) 14時12分
最初にいっておくと、ネルヴァルは意識的には読んだことがありません。でも、いくつかつまみ食いする詩の講義で読んだような気はします。いずれにしても覚えていません。覚えているのはヴェルレーヌの
Il pleure dans mon coeur
Comme il pleut sur la ville
くらい。
ほかにはヴァレリーの厚い詩集を買わされて、いくつか読んで解釈する、というのをやりましたが、その中に手をつないで公園を歩く、という描写がありました。ちょっと響くものがあったんですが、この詩で歌われている相手は男性で、ヴァレリーも男性。ヴァレリーはゲイだった、というような話から言葉の解釈がいくつか出てきて、急激につまらなくなりました。
そういうプライベートな事情を知らないと「真の意味」がわからないようなものは永遠じゃない。文学研究というのはただのミーハーだ、とか思って非常に腹が立った。文学の研究にはどうしても興味がわきませんでしたね。
で、いろんな文脈から、ネルヴァルは幻想的な小説を書く人、SFの祖の1人としてきいていました。もしかすると、読むとファンになったかもしれませんが、
どういうわけか、周囲に読んでいる人が多かったのと、もうあまり小説は読みたくなかったので読まずじまい。
読んでいたのはヴォネガット、あとでガルシア・マルケスくらい。読む本はほとんど新書のいわゆる教養本ばかりでした。当時は神話時代の歴史、言語の構造、精神分析、時間と精神の相関関係などなどの本ばかり読んでいましたね。仏文にいったのは当初の目的、ボリス・ヴィアンを原書で読む、ということ以外、何もありません。
一時期、ふでれりっくに対抗して、じぇらーるというHNを使っていましたが、
この、じぇらーるは、ジェラール・ド・ネルヴァルのことです。ショパンとネルヴァルはボードレールを通じて会っているはずだ、と思われる記事をどこかで読んで。今再検索したけど出てこない。勘違いかもしれませんが、同時代には違いない。
おおたか静流の歌は格別です。
曲そのものは浜口庫之助作詞・作曲の流行歌でもともといい曲だと思っていましたが、おおたか静流の声で聴いて、きわだった印象を持ちました。
女心の歌のような歌詞ですが、男女は関係ない。ぼくが好きなのは、というか、来る部分は
♪夢の口づけ 夢の涙
喜びも悲しみも みんな夢の中
というところ。「花」もおおたか静流に限る、と思っています。
幸華会の掲示板ではオクラホマミキサーを貼り付けたことがあります。
「アカシアの雨がやむとき」という曲も歌っていますが、これは西田佐知子、若林圭子(独立系のシャンソン歌手)、おおたか静流の三者三様にいい。
彼女の歌では、ほかにもいろいろあります。
今日、偶然、ライブがあることを教えてもらい、無伴奏で独唱するというので俄然行く気になって問い合わせたらガラガラらしい。120人しか入らない会場であと3週間くらいしかないのに。不思議不思議。
なんだか人気ないんですよね。どちらかというとそのほうがありがたい面もあるんですが。
投稿: mumlob | 2007年11月17日 (土) 22時48分