始まりと終わり_071101
今はさすがにそれができないけれど、10代から20代にかけて、戦うことができないほど辛いことがあるとともかく寝ることで復活しようとするクセがあった。今も事情が許せば、ラジオ(FM東京かNHKFM)を小さくかけたまま、数日浅くうつらうつらと眠っていたいと思うことはたまにある。そうしているあいだに傷ついた部分が多少強くなり、そこを乗り越えていくという繰り返し。テーマは2つ。恋愛と自己実現のジャンルだった。
この2つは後で気づいたけれど、よく似ている。どちらも自分1人では完結しない。時折、完全な断絶を認めなくてはならなくなる。幸せか、ゼロかのどちらかしかない。
もっとも「幸せか、ゼロか」と考えるのは万人がそうだとは限らない。ぼくは16歳のとき1人で勝手に苦しんでいたころ、「悉無律」という言葉に救われそうな気がして以来、その手法を取って来た。
ただ、それほどうまく行っているとは思わない。思い返すと、まだたくさんの柔軟な対処法があったと思うことがある。よくこんなデジタルな生き方でここまで生きてきたものだとときどき思う。
大学に入って時間が自由なころがもっとも激しかった。学校にも行かず、おそらく数か月は部屋にこもり、寝そべって暮らしたこともある。いくら寝ても癒えないものがあった。
ただ、昼間眠っているのでじつは夕方くらいから目がさめてくる。そのうち仕方がないので電気をつけて本を読んだり何かを書いたりする。そのうち起き出して深夜もあいている喫茶店に入ってスパゲティナポリタンとかを食べながら週刊誌を読む。その繰り返し。学生時代というと、そのころのことを思い出すけれど、よく考えるとせいぜい1年間くらいの話だった。学生時代の大半は自分の部屋に帰らず、いつも誰かのところか、誰のところでもない場所で眠っていた。なぜそういう生活だったのかははっきり思い出せない。
ともかく、その頃。たばこも何となく吸いはじめたばかり。試しに吸ってやめるつもりだったけれど、鬱々と吸っていて、ふと、何か救われる感覚があった。それっきり、10数年間、自分の空間に赤ん坊が出現するまで吸い続けた。もっとも、大半は惰性と嘔吐感、浪費、渇望と失望の繰り返しでしかなかった。
その頃も、しかし、やはり1日の始まりは夜明けだった。

(この写真はここのために用意していたのに、つい、よそでも使ってしまった。)
こんな光景と、こんなメロディーが頭から離れない。
70年代半ばの一時期(その後どうなったかは知らない)、FM東京はこのメロディーで放送を開始していた。放送終了後は砂の嵐になり、放送開始の数分前に正弦派(ピーという音)の試験電波が送られてきて、突然、この曲が流れはじめる。これが幸せだった。長い無言が終わり、やっとぼくのほうを向いてくれたような感覚。おそらくは、眠れない夜をすごした多くの人がこのメロディーを聴いてほっとしていたと思う。
それから多分正午くらいまで、布団の中でラジオを聴いてすごす。いくつか番組は思い出すけれどそれはどうでもいい。新潮社だかのCMのバックに流れている曲がいいなと思っていたけれど、30歳過ぎてたまたま買ったグレン・グールドのCDがこの曲だった。ゴールトベルク変奏曲。もっとも、CMで流れていたのはハープシコードの標準的な演奏だったので、最初、グールドのCDを聴いていてもその曲とは気づかなかったけれど。
そのうちいつの間にか眠る。もともと眠るのが目的でラジオを聴いていたんだし。
寒々しい気配で目が覚めると、世の中は夜になろうとしている。

こんなに暗くなるともう何もかも手遅れという、手がかりのない感覚に襲われる。
ただ生理的にどうしても起き上がり、服を着て、ともかく外に出たくなる。ぼくにとってはこれから長い夜が始まるのだけれど、世の中は1日の仕事を終えて、それぞれの安息の場所に戻ろうとしている幸福感に満ちている。その不思議なすれ違いが逆にぼくには快かったような気がする。
昼は空をよく見上げるけれど、夜は見上げる習慣がなかった。おそらく、見上げても視力の問題と夜盲症の気があったせいで星がよく見えないからだろうと思う。月を見ていた記憶もない。月のことを気にし始めたのは子どものために「お月見」という年中行事をやってからだった。
最近、聴いて気に入っているのがクラウディオ・アラウの弾くドビュッシーの「月光」。何度聴いてもあきない。気持ちが柔らかく透明になっていく感覚がある。
この演奏を聴くまでは、この曲はわざとらしくて嫌いなほうだったのに。
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コメント
懐かしい曲です。きっと誰もがどこかで出会ってるでしょう。でもそのまま通り過ぎてしまった昔の記憶・・・
心の奥底を優しく又、昔の傷がずきっと疼くような感覚でした。
大学生の頃のいつだったのか、どの部分だったのか正確には思い出せないけれど心のどこかが覚えてるこの感覚・・・
この曲を聴いて静かに心が休まった記憶もあるし、涙してた自分もいました。何故泣いていたのかは思い出せないのに・・・
素敵な曲をありがとうございます。今度は大切に心の宝箱にしまっておきます。音楽っていいですね。ある人と共有したいと思ったときそれは幸せに繋がります。
投稿: まりも | 2007年11月 1日 (木) 14時12分
ドビュッシーはもちろん聴いたことはあったけれど
意識して聴いているのはこの1、2年。
アラウのCDを聴いてからです。なんか妙に入ってくるんですよねえ。
ぼくは逆にこの曲にはまったく思い出はくっついてない(はず)なんですが、何か来し方を見つめさせようとする響きもあり、さびしいような、幸せなような、脆弱なような柔軟で強いような、そのうえ、理由不明で胸が痛くなるところがあるんです。
薄い皮膜の上で幸せを感じているような怖さがあって、あもう破れる、という不安と、でも今はいい気持ちという安定感とがあります。
夜の景色にはそういうところがあります。明るい窓の1つ1つにうかがい知れない暮らしがあって、その中ではいろんな幸せがもごもごしてる。そこに取り込まれるのがいやな気持ちと入れてほしいというさびしい気持ちとないまぜ。なんかむずむずするんですよねえ。、
投稿: mumlob | 2007年11月 1日 (木) 20時14分