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2007年7月

2007年7月31日 (火)

「タイムス」

まぼろぼがやっと新しい言葉を覚えたと思ったら「タイムス」だった。
違うんだよ。タイム・スライス。
しかも、よく考えてみると、タイムスライスという言葉は、スローターハウス5には出てこなかったような気がする。ぼくが後に覚えた言葉の中から近いものを割り当てているだけかもしれない。
どうもデジタル用語、または映画撮影の手法の名前らしい。

まあ、それはともかく、タイム・スライスなんだよ。レモン・スライスとか、ライム・スライスとかダイコン・スライス(よくサラダにして食べる。結婚してカレーのときに初めて食べて以来、好きな食べ物の1つ)とか、そういうスライスね。それがタイムなの。
タイムス・ライスじゃないんだよ。
あ、こいつ、いっしょに「ライス」も覚えてやがる。
ま、いいか、それはいつか覚えるし。ライス米国務長官ね。
ライス米国務長官。だから、ライスって米という意味なの。覚えてね。

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タイムスライス

タイムスライスとは、カート・ヴォネガットJr.の『スローターハウス5』(『屠殺場5号』とも。ハヤカワSF文庫。『スティング』のジョージ・ロイヒルが映画化した)に出てくる物理概念。人生を時間の流れに対して垂直に輪切りにした断面のこと。
人の一生はこの断面の連続であるという、ものの見方でもある。印象的なできごと単位でこのタイムスライスはグループを作り、あるタイムスライスから少し時間の離れたタイムスライスまでの連続が記憶の断片となって認識される。
人間はこれを開始から終了まで連続的に経験するために気づかないが、四次元的にj見れば、これも1つの連続体として独立した物体になっている。通常の人間は時間軸方向を自由に移動することができないが、トラルファマドール星人にはそれが可能で、彼らと関わることで偶然、時間軸の移動がしゃっくりのようにランダムになってしまう人がいる。

『スローターハウス5』はそうした人物の人生の記録。
ぼくは最初、キューブリックの『博士の異常な愛情/または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』を見る目的で2本立ての映画館に入り、偶然この映画に遭遇した。池袋の文芸座(今も同じ名前の映画館があるが精神的にはまったく別物)で300円だった。
映画は、主人公が晩年、回顧録を執筆している現代のシーンから始まり、数分して1945年のドイツになる。以降、一口の人生の断片がバラバラに表示されていく。最初はなんだかわけがわからないが、しばらくしてそのシステムに気づくと、とつもなくヒューマンな物語だということに気づく仕掛け。映画を見ながら泣いたのはこの映画が初めてだった。2022年には500円でDVDが出るはずだが、ちょっと遠い。観客を選ぶ映画だったらしく、商業的には失敗。ビデオも絶版になったまま。もっともアマゾンでは7500円出せば買えるらしい。趣味の映画イベントでロイヒル特集でもやれば上映されるだろうと思うが、出会ったことがない。

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さまざまな時間等曲率漏斗

人生を時間等曲率漏斗として捉えると、この世はおびただしい数の時間等曲率漏斗で埋められていることがわかる。1つ1つ形が異なる。短いものもあり、長すぎるものもある。まっすぐなもの、歪んだもの、角張っているもの、丸っこいもの、柔らかいもの、硬いもの。
その数の多さと種類の豊富さを思えば、そこに基準は立てにくくなる。歪んだものより、まっすぐなもののほうが価値が高いわけではないし、長いものが短いものより幸せなわけでもない。
1つ1つが可能な限り多くの他の存在と関わりながら、そのどれにも頼らず、それぞれに独立して自律的に存在する。
そこには多様性があるだけで、比較も価値の押し付けもない。1つ1つがほかと変えようのない人生であり、自分はそれらの中の1つにすぎない。だから、他の漏斗と比較することで生じる幸せも不幸せもない。
時間等曲率漏斗というモデルを介して自分と他人の人生を考えると、目の前の辛いことがそれほどたいしたことではなくなってしまう。人生で起きるすべてのことは、自分の時間等曲率漏斗の特性の1つでしかない。今、自分が消え入りそうなほど寂しいとしても、それは漏斗の表面を色合いが変化していくグラデーションが通り過ぎる一瞬の曇りの1つにすぎない。どの特性もかけがえがなく、どれもがいとおしい。

そういうわけで乱れた心の1つ下に安定した精神を維持することができる。

時間等曲率漏斗という概念の前に出会ったのが、同じヴォネガットのタイムスライスだ。
20歳になってしばらくして、ぼくは映画と本から2つのイメージを知り、そのイメージの中で当時の破裂しそうな混迷に耐えた。

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2007年7月30日 (月)

時間等曲率漏斗

時間等曲率漏斗というのは、最近亡くなったカート・ヴォネガットJr.の比較的初期の傑作『タイタンの妖女』に出てくる、虚構の物理概念だ。
はっきりいって、詳しいことは忘れた。本は持っているので(ハヤカワSF文庫)調べればわかるがあえて記憶だけで書く。知識ではなく、ぼくがどのように覚えているか、どういう心象を形成しているかのほうがここでは重要だから。

時間等曲率漏斗の「漏斗」は液体を口の小さなビンなどに継ぎ足すときに用いる、あのロートだ。作品中では、台所でおかあさんに見せてもらいなさい、というコメントが入っていて、そのフレーズが気に入って、しばらくまねして使っていた。

ところで、ロート製薬の名前は、薬を作るときにこうした器具を使うところから生まれたものだろうか。違うような気がする。これはあとで確認しておこう。

漏斗は球面のような曲面が徐々にしぼんで細い口に収束していく。その曲面の曲率がどの点をとっても等しいので「等曲率」。さらに、それが時間に関する物理概念だから、あわせて「時間等曲率漏斗」となるらしい。
「時間」とついているが、読んだ感じでは、時間というより、時空。人の一生を四次元空間上にマッピングしたときのイメージだと思う。
人生が進展し、拡大し、収束していく時間、空間のすべて、最初から最後まで、端から端までを1つの3次元的形にたとえたものが、時間等曲率漏斗だ。ヴォネガットがそう考えていなかったとしても、ぼくはそう感じている。

ぼくたちは生まれて、成長し、記憶し、忘却し、出会い、別れ、好きになり嫌いになり、愛しあい、憎みあい、仕事をしたり遊んだり、そのうち意思と肉体の折り合いがつかなくなって、どこかで消滅する。それが全部終わってしまったあとでまとめると、時間等曲率漏斗になって静止している。

時間等曲率漏斗ってどんな形をしているのか知りたかったら、台所に行って、おかあさんに見せてもらいなさい。

以下次号。

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設置したものの

ブログペットのほうにもマイページがあったり、足跡やメッセージがあったり、どうも入り組んでいてぴんとこない。

ブログペットには、キリぺたというのがあるらしい。キリ番のブログペット版。最初のぺたを踏んだ人は「エムエム」さんというらしい。
その人のプロフィールを確認に行って、ついでにそのあたりにある名前をクリックしたら、こんどはぼくがまた別の人のペットに対するキリぺた(1)を踏んでしまったらしい。何かメッセージを出したほうがいいのかどうか、考え中。
次のキリぺたは「5」だとか。最初の1、最初の5、ということだろうけど、次は10、50、100、1000なのだろうか。それならばまだいいけど、5きざみでやられたらたまらんなあ。   

時間等曲率漏斗、あるいはタイムスライスについて書こうと思うものの落ち着かない。最近覚えた、カラビ-ヤウ多様体という言葉もぜひ、まぼろぼに覚えてもらいたい。

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2007年7月29日 (日)

ブログペットを設置した

ブログペットを設置したので、これから訓練に入る。
それにしても、このブログはhtmlタグが好きなように使えるらしい。

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2007年7月24日 (火)

ここにたどりついた理由

友人のブログで見かけたブログペットと遊んでいたら、
そのペットに「ブログペット、飼ってみる? ○ ×」ときかれたので、○を選択した。

ブログペットだけを飼えるのかと思っていたら、ブログがなければだめらしい。
ブログペットに対応していて、かつ、無料のブログを探したら、
このブログにたどり着いた。

そういうわけです、とりあえず。

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