2008年6月27日 (金)

いつになったら

ぷにょは二語発話の段階に進むんだろうか。
もうおとうさんは疲れました。

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2008年5月25日 (日)

ぽっぺんの今日の発言

花火潮騒はほとんどの場合幸せ

どちらも浴衣でラブラブな感じで確かに幸せそう。
でも、どういう具合でこの組み合わせが出てくるのか謎。

冷たい家族総出♪

冷たいわりに、総出なところが難しい。
ふだんの冷たさは、照れ隠しなのか、
総出なのは何か失敗を期待してのことなのか、
(このときの家族写真は不気味そう)。
どっちもありそう。

「そのドラマ 記憶したれば 不安定」

「バラ色の人生」のことかな。たしかに不安定だった記憶がある。
今でもやっぱり不安定だけど。

「塔や 同伴すれば 林檎だね」

「塔」という字は4音節になる訓読みでもあるのかなと思ったけれど、漢和辞典を見ても音読みが1つだけ。すると、この俳句をリズムにあわせて読むときは、

と~お~や どうはんすれば りんごだね

かな。これだと間延びがかっこわるい。

塔や(ブレス)
同伴すれば 林檎かな

のほうがいいな。何か自由律詩への契機を感じる。

【解説】塔を登る。ちょうど同じように登ろうとする他の人と出会い、係りの人に同伴して登るようにいわれる。ではよろしく、と挨拶してみれば、なんだ林檎ちゃんじゃないか。

「あのピアノ 見舞いするのは 小物なり」

【解説】ピアノが入院しても、あわてずさわがず、すぐに見舞いしたりなんかしない。そんなことをすると足下を見透かされて小物に見られる。

大物はピアノが退院してから電話で「大変でしたね。今はもうすっかりいいんですか?」と声をかけ、快気祝いだけもらう。

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2008年5月19日 (月)

ターン

どうして、12月の冒頭からほったらかしにしていたんだろう、と考えていて、なぜかを思い出した。よく忘れていて、繰り返し思い出す。これからもきっと同じことを繰り返すんだろう。
ただならない状況の中、2月に法事に行って、個人的な楽しみも果たし、浮世からますます離れていく感覚を感じて、そのあと、4月になるまで仕事のことで生きた心地がしなかった。

そのときどきに応じて、どういうわけか心にぴったりと張り付いてくる曲というのがある。今、張り付いているのはピアノ曲。ずっと繰り返し聴いている。そしてその曲の雰囲気によく似た短編集にも出会った。小説を読んで何か響くものを感じるのはひさしぶり。このいい感じを誰かに教えたいと思うのもひさしぶり。読みおわっておもしろかった本は、誰かにあげる、というクセがあった。でも、多分、本はなかなか共有できない。ぼくがおもしろい本を同じようにおもしろいと思ってくれる他人は多分いないだろうな。ぼくだって、本をもらうとありがた迷惑なことが圧倒的に多い。自分で買っても読まないことさえある。

でも、やっぱりそのクセが背景にあるのか、いつも本は気になるところがあるとページの端を折り返して目印にしながら読むのに、この本はそうするのに気がひけて、付箋紙でマーキングしている。丁寧に扱って、手触りが新しいままに読み終わりたい。何か変化が逆回しになっているような感覚。一方ではずっと下流に押し流されているのに。

でも、このへんで本当にターンしてみよう。
なんて抽象的なんだ。

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2007年12月 1日 (土)

霊騒

「たまざい」と読む。潮が騒ぐ潮騒と同様、霊的な存在が騒ぐこと。
多分20歳のころにぼくが作った。ありそうで、じつは存在していない言葉。
と思っていたら、ポルターガイスト(騒霊)に関連してドラマのタイトルに使っている希少な例が見つかった。

それはともかく、この造語は、

霊騒(たまざい)の夜、
かすみ かかる かんばせ
わが臓(わた)  ぬたの喜び

という詩文付き。自分でもよくわからない。

不安定な精神(霊)と、精神をしばりつけようとする肉体の関係について、何か見えるものがあった、という記憶だけが残っている。

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2007年11月18日 (日)

林檎の木の下で再会する_071118

日常の生活を送っていても、意味が曖昧だったりどちらにも取れたりする言葉やシンボルは多い。
夢や空想や物思いの中ではなおさらそうなる。

塔が宙に舞い上がるような幸せと破綻する不幸せの両方を意味するように、塔の形状には、地上から突き出るものとして樹木とのアナロジーが含まれている。

塔は樹木になり、樹木は塔になる。
しかし、塔は孤高で冷たく、不安定なイメージを主体としているが木は群れやすく温かく、安定した成長のイメージが主体になる。
この2つのシンボルには重なる部分と重ならない部分があり、その2つをあわせたトワイライトのイメージが、おもに出会いや別れに関する示唆をたくさん含んでいる。

樹木のうち、とくに瑞々しい果実がなる樹木は特別に幸せな暗示がある。
樹木は地中に張った根から水分と養分を吸い取り、それを枝と葉に変え、花を咲かせ、実に結ぶ。
そのように人も樹木の下に吸い寄せられるように集い、そこで会いたい人に再会する。

おおたか静流 林檎の木の下で
http://mumlob.chicappa.jp/happymusic/under_the_apple_tree.mp3

じつは別れと出会いは毎日繰り返し起こっている。どんなに親密な関係でも皮膚以上には近づくことはできないし、日々の社会的活動を恋人を同伴して行うことは難しい。眠るときは必ず孤独になる。その自然のリミットを超えようとするとカンニバリズムネクロフィリアに近づかざるをえないだろう。

リンゴの木は芳香で人々を引き寄せ、繁った枝葉で強すぎる日の光や風から下で集う人々を守り、実の赤い色で心を燃え立たせる。それぞれの社会的活動のために別れていた恋人たちはリンゴの木の下で再会を果たす。

中杉ストンパーズ(阿佐ヶ谷のストリートミュージシャン) 
リンゴの木の下で

http://mumlob.chicappa.jp/happymusic/under_the_apple_tree_by_NakasugiStompers.mp3

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塔とラプンツェル_071117

先日、川の写真を何枚か撮っていたら妙に目立つ塔があった。
知っている建物のはずだけれど、奇妙に心当たりがない。
あんな高さの塔があの場所にあったっけ。
建築中なのか、壊しているところなのかもよくわからない。
もっとも今この瞬間にとってはどっちでも同じだけど。

現実でも本当に夢のような時間がときどき流れることがある。
いい夢もあり、悪い夢もあり、ぼんやりとよくわからない夢もあり。
目の前の塔が夢であれば、多分、いちばん上に、ラプンツェルが住んでいるんだろうと思う。

やあい、ラプンツェル。おまえの髪を下ろせ。

ちくま文庫の『グリム童話』、池内紀の素っ気ない訳のバージョンでは、こんなフレーズだった。塔の下で王子がこう叫ぶと塔の上に幽閉されているラプ ンツェルは自分の長い髪を下ろす。王子はそれを伝って塔を上り、2人の時間を過ごす。いろいろあって別れ別れになり辛い目にあうが、最終的に再会し、ハッ ピーエンドになる。よくある展開なのにこの話の印象が強いのはきっと塔のせい。塔の上の不安定な空間で享受する幸せは、その裏側に大きな破綻への契機を隠 している。

90年代の後半、長女が小学生で次女が小学校にあがる前後、どういうわけか、毎晩ベッドでちくま文庫版のグリム童話を読んできかせた。基本的にぼくが一度きちんと読んでおきたかったこともある。アレンジされていないものを探したところ、たまたまこれが見つかった。
2人とも自分で本が読めるのに、読んで聞かせてもうらことを喜んだのは、単純に楽に本が読めるから、ということではなさそう。朗読も一種の芸能で、ぼくもそれなりにうまく読めていたに違いない。毎日せがまれ、何話も読まされた。
いくつかの話は、何がおもしろいのかわからないけれど、子どもたちに大人気だった。ラプンツェルもその1つ。「やあい、ラプンツェル、おまえの髪を下ろせ」というフレーズがいいらしい。

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2007年11月11日 (日)

みんな夢の中_071111

近所の善福寺川の水面。いつ眺めても夢のよう。寺尾聡と仁科明子が出ていた『バラ色の人生』とその主題歌「私の孤独(ma solitude)」(ジョルジュ・ムスタキ。一時的に流行った)を思い出す。いろんなものが意味や解釈を与えられないままただ流れている。現在の土地に住むことを決めたのは、この川の存在がもっとも大きい。

『バラ色の人生』が放映されていた時期をいつ頃からか記憶違いしていた。高校1年生か2年生のときだと思っていたけれど74年の3月から6月の時期だったらしい。このドラマを見ながら何を考えていたのか、やっと正確に思い出した。
記憶違いも夢に似ている。その記憶違いには見かけよりも深い意味がある。

先日、夢についてのコメントを受けて、夢の話を書く気になった。実際に書こうとすると闇に手をつっこむようで怖い面もある。何しろ夢なので、今からでは「事実」と照らし合わせることもできない。
子どものころから心に残る夢はいくつかあり、東京に出てきてからはときどきノートにメモしていた(一時期、気になるものは何でもノートにメモしていた。物持ちが悪いわりに、ノートだけはまだ残っている)。

ずっと心に残っている夢の代表的なものに、大学2年生の秋、1976年の10月に見た夢がある。いくつかの符合から4年生のときに見たのだと思っていたが、ノートのメモを見ると違っていた。
この時期には多少の意味がある。2年生の後期は、翌春、専門学部に進学するために専門を決めなくてはならない。ぼくは決められずにいたし、そもそも大学で学ぶことに手ごたえを感じていなかった。それ以前に長く続いていた、痛烈に陥没した気分をまぎらわせるのに手一杯で、その後の方向性を決めるはずの決定が冷静にできるような状況ではなかった。複数のストーリーがからんで落ち着かない時期だった。

夢の舞台は学部のある本郷キャンパス。背景に安田講堂があり、文学部棟が右手に建っている。この建物は建築学上貴重な建物らしく、ある種の様式にのっとったアーチを持つ通路用のトンネルがある。トンネル内部は暗いがそれほど長くないので、明るい出口が向こうに見える。その手前でぼくが彼女と向かい合っている。ぼくは彼女のことが外見的にも性質的にもとても好きだ。バスの音が聞こえて、彼女がそのバスに乗ろうとしていることがぼくにはわかった。
なぜかスーツのような服を着た彼女はかわいらしく微笑みながら、生理の処理をするためにトイレに行って来るといってから駆け出した。それは付いてくるなという意味だということも、嘘だということもわかっていて、ぼくは彼女の後姿がトンネルの中に入っていくのをじっと眺めている。

目が覚めて、彼女とはもう縁がなくなっていて、会う予定もそのつもりもない状況だったことを思い出した。この夢を見るまでは、夢に彼女は頻繁に現れていたのに、これ以降はまったく現れなくなった。これで意識から消えたわけでもないけれど、思い出したくないような、忘れたくないような、奇妙なバランスがこの夢に象徴されて定着し、やっと話が終わったような感触だった。

おおたか静流「みんな夢の中」
http://mumlob.com/happy/all_that_dream.mp3

ぼくは学部への進学は1年先延ばしにしようと考え(あてがあったわけではないけれど)、適当に仏文科進学の志望を出したまま、わざと単位を1つ落とすことを決めた。教養学部は多種多様な講義を受けられるので、もういちど、ちゃんと勉強してみて心を決めようという甘い考えがあった。もう1年いたとしても、何が変わったかはわからない。
結局、ぼくの計算ミスだったのか、事務局の手違いだったのか、ぼくはそのまま3年生に進級して、仏文科に行くことになった。これも、これでいいような、よくなかったような、奇妙なバランスの1つ。いずれにしても、学部のどこに行ってもおそらく何も変わらなかったと思う。そういう意味では、これでよかったはずだ。

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2007年11月 8日 (木)

変わらないこと、新鮮なこと_071107

去年の7月以来、デスクの脇に置いてある台の上がさまざまな資料や本、ダイレクトメール、小物などの集積所になってしまった。中には返送しなくてはならない大切な契約書もあるし、取っておくことに何の意味もないダイレクトメールのチラシなども埋もれている。ほかに1ギガのマイクロSDカード、デジタルカメラの交換用充電池、それからPC付属のキーボード(水をかけたのをきっかけに分解して掃除しようとして放置)。

これを片付けると、これまでとまったく気分が変わって、大きく自分が変化しそうな気がする。それでなかなか片付ける気になれない。何であれ、大きく変わることが嫌いだから。
いつまでも同じようにしていたい。好きなものは好き、嫌いなものは嫌いなままでいたい。少し前の自分と感じ方や考え方が変わっているのに気づくと、知らないうちに自分は死んでしまったのではないかという感じを受ける。
ともかく変わることが嫌い。しかし、一方で同じことの繰り返しは嫌だ。ずっと変わらず、いつも新鮮なことをやっていたい。

小学生のころ、ちょっと家から出て戻ってくると家族がライオンになっていた、という夢を見たことがある。その夢がどういう意味なのかはいまだによくわからないけれど、ずっと記憶しているくらいだから重要な夢に違いない。
記憶に残る夢には何かテーマがある。夢の意味はわからなくてもその夢の味を考えていると1つか2つの言葉にまとめられる。
その夢のテーマは「後悔」だった。家を何の気なしに離れたことを夢の全編にわたってぼくは後悔し続けている。 でも、多分、家を離れる必要があったのだ。しかたがなかった。こんなことになるなんて考えてもいなかった。もうもとに戻れない。手がかりのない後悔ばかりが残る。そういうストーリー。
いちばん上の兄がかなり重い病気で療養中のころに見た夢だったと思う。それと関係があるかもしれない。どういうわけかいつもタイミングが悪く、なかなか兄の見舞いに行けなかった。家族総出で行く日、ぼく1人が別のことでちょっとぐずぐずしていると、気がついたときには置いていかれていた。走って追いかけてみたが、見当たらず、やむをえず1人で自宅に戻った。それからしばらくして兄は死に、まったく違う存在になってしまった。
夢を見たのがどのタイミングだったかを思い出せない。

こんなことを考えていると、10数年前にあった、結構きつい恋愛事件を思い出してしまったからきっとそのへんとも関係あるんだろう。 ここをつつくと何かわかるものがあるかもしれない。

台の上を片付けるとぼくが変わるのか、ぼくが変わるから台の上を片付けるのか。
よくわからないが、本当にそろそろ片付けないと。

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2007年11月 1日 (木)

始まりと終わり_071101

今はさすがにそれができないけれど、10代から20代にかけて、戦うことができないほど辛いことがあるとともかく寝ることで復活しようとするクセがあった。今も事情が許せば、ラジオ(FM東京かNHKFM)を小さくかけたまま、数日浅くうつらうつらと眠っていたいと思うことはたまにある。そうしているあいだに傷ついた部分が多少強くなり、そこを乗り越えていくという繰り返し。テーマは2つ。恋愛と自己実現のジャンルだった。
この2つは後で気づいたけれど、よく似ている。どちらも自分1人では完結しない。時折、完全な断絶を認めなくてはならなくなる。幸せか、ゼロかのどちらかしかない。
もっとも「幸せか、ゼロか」と考えるのは万人がそうだとは限らない。ぼくは16歳のとき1人で勝手に苦しんでいたころ、「悉無律」という言葉に救われそうな気がして以来、その手法を取って来た。
ただ、それほどうまく行っているとは思わない。思い返すと、まだたくさんの柔軟な対処法があったと思うことがある。よくこんなデジタルな生き方でここまで生きてきたものだとときどき思う。

大学に入って時間が自由なころがもっとも激しかった。学校にも行かず、おそらく数か月は部屋にこもり、寝そべって暮らしたこともある。いくら寝ても癒えないものがあった。
ただ、昼間眠っているのでじつは夕方くらいから目がさめてくる。そのうち仕方がないので電気をつけて本を読んだり何かを書いたりする。そのうち起き出して深夜もあいている喫茶店に入ってスパゲティナポリタンとかを食べながら週刊誌を読む。その繰り返し。学生時代というと、そのころのことを思い出すけれど、よく考えるとせいぜい1年間くらいの話だった。学生時代の大半は自分の部屋に帰らず、いつも誰かのところか、誰のところでもない場所で眠っていた。なぜそういう生活だったのかははっきり思い出せない。

ともかく、その頃。たばこも何となく吸いはじめたばかり。試しに吸ってやめるつもりだったけれど、鬱々と吸っていて、ふと、何か救われる感覚があった。それっきり、10数年間、自分の空間に赤ん坊が出現するまで吸い続けた。もっとも、大半は惰性と嘔吐感、浪費、渇望と失望の繰り返しでしかなかった。
その頃も、しかし、やはり1日の始まりは夜明けだった。

(この写真はここのために用意していたのに、つい、よそでも使ってしまった。)
こんな光景と、こんなメロディーが頭から離れない。

Lgrima(prelude)

70年代半ばの一時期(その後どうなったかは知らない)、FM東京はこのメロディーで放送を開始していた。放送終了後は砂の嵐になり、放送開始の数分前に正弦派(ピーという音)の試験電波が送られてきて、突然、この曲が流れはじめる。これが幸せだった。長い無言が終わり、やっとぼくのほうを向いてくれたような感覚。おそらくは、眠れない夜をすごした多くの人がこのメロディーを聴いてほっとしていたと思う。

それから多分正午くらいまで、布団の中でラジオを聴いてすごす。いくつか番組は思い出すけれどそれはどうでもいい。新潮社だかのCMのバックに流れている曲がいいなと思っていたけれど、30歳過ぎてたまたま買ったグレン・グールドのCDがこの曲だった。ゴールトベルク変奏曲。もっとも、CMで流れていたのはハープシコードの標準的な演奏だったので、最初、グールドのCDを聴いていてもその曲とは気づかなかったけれど。

そのうちいつの間にか眠る。もともと眠るのが目的でラジオを聴いていたんだし。

寒々しい気配で目が覚めると、世の中は夜になろうとしている。

こんなに暗くなるともう何もかも手遅れという、手がかりのない感覚に襲われる。
ただ生理的にどうしても起き上がり、服を着て、ともかく外に出たくなる。ぼくにとってはこれから長い夜が始まるのだけれど、世の中は1日の仕事を終えて、それぞれの安息の場所に戻ろうとしている幸福感に満ちている。その不思議なすれ違いが逆にぼくには快かったような気がする。
昼は空をよく見上げるけれど、夜は見上げる習慣がなかった。おそらく、見上げても視力の問題と夜盲症の気があったせいで星がよく見えないからだろうと思う。月を見ていた記憶もない。月のことを気にし始めたのは子どものために「お月見」という年中行事をやってからだった。
最近、聴いて気に入っているのがクラウディオ・アラウの弾くドビュッシーの「月光」。何度聴いてもあきない。気持ちが柔らかく透明になっていく感覚がある。
この演奏を聴くまでは、この曲はわざとらしくて嫌いなほうだったのに。

Clair De Lune (ベルガマスク組曲から) クラウディオ・アラウ

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2007年10月28日 (日)

個別の幸せ――花火_071028

B子ケースにはまりすぎ、収拾がつかなくなってしまった。この方向は間違ってはいないが、正しいわけでもない。

Realbest


たとえば、花火見物はほとんどの場合幸せ。それが変わった花火であればなおさら。
花火はたった1回のチャンスで生まれ消えていく稀有な芸術だ。1つの花火はけっしてくりかえされることなく、空中で燃えつきて消失してしまう。燃えることに失敗してしまえばゴミになる。 その花火を地上にしがみついて、ぼうっと見ることに至上の喜びを感じないほうがどうかしている。 できれば、好きな飲み物と好きな食べ物があればそのあとどうなってもいい。 好きな飲み物とは、この場合、ハイネケンの生。好きな食べ物とは、現行の範囲内で考えれば、京たこの激辛だ。

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